フェムコト 連載 by 橋本範子

未来予想図は描けない。導かれた先にあったパラレルキャリア

地方で働く女性、都心で働く女性、子育てをしながら働く女性、さまざまなライフスタイルを送る女性たちを取り上げ、女性の健康課題や社会課題について考える対談コンテンツ『フェムコト』。

今回対談させていただいたのは、現在4つの会社で取締役などを務める世永亜実さん。一つの枠組みにとどまることなく働くパラレルキャリアを選択しています。働く女性として、11女の母親として、奮闘する日々の中で意識していることや学びをお聞きしました。

ー世永さんの3つのルールー

RULE1.その人が熱くなる瞬間を引き出す

RULE2.自分より年下世代の勇気になる生き方をする

RULE3.多様性を理解しこうあるべきに縛られない

〈Profile〉

サマンサタバサジャパンリミテッド非常勤取締役
オイシックス・ラ・大地 ブランドディレクター/People’s Adviser
Samantha Global Branding & Research Institute 非常勤取締役
GOOD NEWS 非常勤取締役
世永亜実さん
よなが・あみ 大学卒業後、芸能プロダクションのアミューズ勤務を経て、2002年にサマンサタバサジャパンリミテッドに転職。同社のブランディングやマーケティングを統括し2008年に執行役員、2012年に上席執行役員に就任。2007年に長男、2011年に長女を出産。2019年新しい働き方へ転向し、パラレルキャリアを実現。

Twitter:@ami_yonaga

親が授けてくれた最大のプレゼントは自己肯定感の高さ

世永さん:アイルランドで友人と牧場を営むような父親、当時にしては珍しい高学歴な母親、個性的かつ大人な両親の元に生まれました。怒られた記憶はなく、「こうしなさい」と否定されたり指示されたりすることなく育ったことは、私の一番の原体験だったと思います。かといって過保護ではなく、幼少期から一人の人間として、親に尊敬されているのを感じてきました。

父親は他界しましたが、母親はいまだに私のことを「本当にすごいね」と言ってくれるので、無意識に自己肯定感が非常に高いんです。だからこそ自己主張する必要もなく、人から評価されたいという感情がないまま大人しく生きてるなと思います。

フェムテックtv:確かに肩書きだけ見ると、いわゆるバリキャリの方をイメージしていましたが、良い意味で違いました。

世永さん:実際にお会いする方たちには、よく言われます(笑)。仕事をしていなかったら、お家でじっとしてるタイプですね。家事が好きなんですが、その理由が最近わかって。唯一自分の人生の中で、自分が主導権を握れるのが家事なんですよね。誰の損得もなく、誰に確認するわけでもなく、誰かを立てるわけでもなく、自分のためにできて、かつ家族に喜んでもらえる。新卒の時からこれまで22年間、社長が直の上司の元でやってきたのもあり、仕事となると、そうはいかないですからね。

フェムテックtv:新卒で芸能プロダクションのアミューズに就職を決めたのはなぜですか?

世永さん:私は日芸卒業生なんですが、舞台やテレビでおもしろいなと思う人や作品がどれもアミューズが関わってたんですよね。当時、アミューズ所属の三宅裕司さんが出演している『イカ天』という番組も大好きでした。

フェムテックtv:就職活動はスムーズに進みましたか?

世永さん:生まれて初めてこんなに「不合格」と否定されたり面接できついことを言われたり、ビックリしました。親からも怒られたことがなかったので(笑)。でも社会に出てからはすごく恵まれて、愛されて育ってきました。自分ができないことの悔しさや体力的な辛さで泣きながら仕事をしたことはあっても、理不尽なことで泣いた経験は運良くないですね。

社会に出たからには絶対に働かなきゃいけないという意思と、大人しい割にやるからには絶対成功したい、120点取りたいっていう意識がすごく強いんです。完璧にできないのに完璧主義。いまだに寝る前に、次の日に何をやるかシュミレーションしてから寝ないと気が済まない。いつも石橋を叩いて叩いて叩きすぎて、橋が落ちちゃって渡れない感じです(笑)。

LAへ広告撮影で初出張。サマンサPR時代は年に何回も海外でセレブの広告撮影をしていました。「自分たちでダイレクトにコミュニケーションをする」という徹底した方針で、当初は言葉も通じず苦労しましたが、海外スタッフとの仕事は本当に刺激的で夢を見ているような日々でした」

フェムテックtv:そこから当時、知名度が低く数十人しか社員のいないサマンサタバサへの転職を決断した理由はなんだったのでしょうか?

世永さん:アミューズに入社して数カ月で、新しいプロジェクトのレコード会社で働くことになったんです。新しい会社なので前任者もいない環境で本当に必死だったのですが、しばらくして、組織変更されることになりました。「本社に戻っておいで」と言われましたが、2年間死ぬ気で頑張ってきた私は大人ってひどい!と悲しくなってしまって。今となったら理解ができるのですが、私が当時はまだ子供だったので、会社の事情等も分からず自分の感情しか考える事ができず、雨の中、まるでドラマのように泣きながら会社を飛び出しました。

その時に入ったコンビニに求人誌『とらばーゆ』があって。履歴書もいらない宣伝の仕事に惹かれて電話したのがサマンサだったんです。

フェムテックtv:サマンサタバサでは順調にキャリアアップされ、執行役員を10年以上も勤められました。リーダーとして働く上で、熱量の違いで思うようにコミュニケーション取れないなど意思疎通は難しくなかったでしょうか?

世永さん:みんなが同じ方向を向いて同じ熱量でやれることは、奇跡だと思うんです。子育てしていても仕事していても思うんですが、心が踊る瞬間や夢中になるものって人それぞれ違うんですよね。例えば、チームの中にみんなから見たら冷めてる人がいる。ただそのスタッフにとっては、きっとその瞬間が同意できないだけで、熱くなる瞬間は絶対にある。そこを丁寧にコミュニケーションして引き出して、活躍してもらう。それこそがリーダーの役目だと思っています。

最近は20歳くらい年下のスタッフと仕事をすることが多いのですが、とても学びがあり、本当に楽しいです。仕事を長く続ける醍醐味は、こうして普段生活していたらあまり関わることが出来ない世代のスタッフと一緒に戦えることです」

フェムテックtv:その役目に気づけたきっかけはなんだったのでしょう?

世永さん:私自身が基本的にみんなで大騒ぎするのが苦手だし、人を誘いたいけど誘えない。みんながみんな、肩を組んでおー!という人じゃないっていうのが、自分のベースにあるんですよね。コンプレックスや弱みが多い人は、管理職やマネージャーに向いてると思います。人の痛みを知っているのは、大きな武器ですね。

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橋本範子
女性誌を中心に手がける編集・ライター。趣味は深夜ラジオを聴くこと。小型船舶2級所持。